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東京地方裁判所 昭和48年(ヨ)2288号 判決 1979年3月30日

申請人 吉田邦宏

<ほか八名>

右申請人ら九名訴訟代理人弁護士 岡邦俊

同 小林芝興

同 尾崎純理

同 近藤俊昭

同 谷口亮二

同 水上学

同 山崎素男

被申請人 株式会社中央公論社

右代表者代表取締役 嶋中鵬二

右訴訟代理人弁護士 和田良一

同 美勢晃一

同 青山周

同 山本孝宏

主文

本件各申請を却下する。

申請費用は申請人らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  申請人ら

1  申請人らが被申請人の従業員としての地位を有することを仮に定める。

2  被申請人は申請人佐藤、同駒沢(桜)を除くその余の申請人らに対し、別紙(二)(略)の「休職期間中の賃金」欄記載の各金員をただちに、各申請人に対し一か月につき同別紙「月額賃金」欄記載の各金員を同別紙「解雇年月日」記載の日の翌日から(但し、申請人吉田、同駒沢(英)については昭和四七年八月二五日から)各本案判決確定に至るまで毎月二五日限りそれぞれ仮に支払え。

3  申請費用は被申請人の負担とする。

二  被申請人

主文同旨

《以下事実省略》

理由

一  被申請人が雑誌図書の発行、販売を目的とする株式会社であり、申請人らが別紙(二)の「雇用年月日」欄記載の日に被申請人に雇用されたこと、被申請人が申請人らに対し、「申請の理由」第二当事者の主張(各解雇等の理由)一、二記載の年月日に同項記載の就業規則の各条項を適用して譴責(始末書の提出を含む。)、休職、解雇の各処分をなしたこと、及び休職期間中は別紙(二)記載の「休職期間中の賃金」を支払わなかったことは当事者間に争いがない(但し、「休職期間中の賃金」のうち、申請人鈴木については三〇万六二九七円、同遠藤については二九万九六四一円、同出口については三一万七七円の限度で当事者間に争いがなく、右三名のその余の「休職期間中の賃金」の額についてはこれを認めるに足る疎明がない。)。

二  当事者間に争いのない事実と別紙(四)(以下理由中で引用する疎明の成立は同別紙による。)記載の各疎明を総合すると、本件各処分の経緯及びその後の経過について次の事実が一応認められ、《証拠省略》中、この認定に反する部分は採用しない。

(一)  労使間の協議制等

1  会社では昭和二一年二月に組合が結成されたが、当初締結された労働協約も失効し、以後労使間の交渉事項等は、各代表委員で構成された経協、或は組合三役らが出席する拡大経協において討議され合意に達した場合はこれが実行に移され、その間の各討議の経過、合意事項等は会社側から各従業員に対する「お知らせ」の形式で、組合側からは「経協報告」としてそれぞれ掲示板等を通じて従業員、一般組合員に伝えられており、経協又は拡大経協において合意に達しない場合には団体交渉により解決がはかられていた。また、組合内には組合の代表機関である執行委員会のほかに各職場の代表委員で構成される職場委員会が設けられ、更に各職場においては随時、職場会議、職場懇談会、合同職場懇談会の名称の会議が開かれて各職場の問題が討議され、各職場従業員の意見の反映、組合意思の集約が図られていた。

2  会社では昭和三一年の丸ビルから現在地の旧館への移転以来、従業員数は増加したが、会社社屋面積は漸増したにすぎず、手狭となっていたので、新館の建設が計画され、昭和四〇年一一月完成し、社屋総面積及び従業員一人当りの面積は同年三月頃に比較し、約二倍となるに至った。また、組合は同年春闘において労働環境の改善として職場スペースの確保(新館における職場スペースの拡充、作業室、懇談室、組合室、会議室、応接室、個人ロッカーなどの設置)を要求していたが、新館の建設と共に同館三階部分に組合室、応接室等が設けられ、その後、旧館二、三階部分の貸与を受けたので会社規模はより拡大されるに至った。

また、労使間では前記のとおり経協において労使間折衝がなされていたが、昭和三六年の週刊公論の休刊を契機として、労働協約を締結して制度の確立を図ることになり、労使間で討議が重ねられ、昭和三七年二月に会社は経営協議会の明文化(第五条)人事異動の協議制(第八条)、組合員解雇賞罰の予告制度(第一一条)等を規定した労働協約第二次会社案を組合に提示した。同案については結局合意に至らず、労働協約は締結されなかったが、昭和四三年九月には拡大経協で人事の事前協議のルールについて中間的確認がなされ、また同年二月、九月には退職金支給に関する協定書、同協定書補則、同補則覚書が取交されるなど、部分的な確認、協定が結ばれ、労使間の協議制度の円滑な運用が図られることになった。

(二)  移転問題発生までの労使関係と組合内部の状況

1  会社では、昭和三五、六年頃から「思想の科学・天皇制特集号」の発刊停止措置等を契機として、出版社としての営業活動と言論の自由との関連をめぐり議論が交され、組合活動の面からは経営、編集にあたる監督者らへの一方的な編集の是正、すなわち「職場の民主化」等の要求として把握され、以降労使間でしばしば論議されることとなった。

2  その後労使間の論議は大きな労使紛争へと発展し、組合側はこれら諸問題に対する会社側の対応を不満として昭和四三年末には大規模なストライキをもって対抗したが、会社側が嶋中社長の辞任、社内の全体制の刷新を約することによって紛争は一応の終息をみた。しかし、右にいう体制刷新の具体的内容が明確にされていなかったため、その意義をめぐって拡大経協で討議されたが合意に至らず、会社は二代表制、部署の新設、統合など社内の組織、機構改編を含む「体制刷新」案を組合に提示した。

3  右「体制刷新」案に対する根本的な見解、対処の仕方をめぐって組合執行委員会は分裂し、当時組合役員であった申請人ら(但し、申請人出口、同駒沢(桜)は組合役員ではなかった)は、同案は言論の自由にかかわる責任体制、編集責任体制の確立を目的とするものではなく、合理化の一環としてのたんなる機構、組織の改編にすぎないとの立場をとり、組合員にも申請人らに同調する者もあったが、組合大会で条件付で会社提案が承認され、昭和四四年三月以後に新たに選出された執行委員会も会社提案を不満としつつもこれに闘争の成果も含まれていると評価してその後の会社との交渉に臨んだ。しかし、申請人らは執行委員会のこのような対応は会社提示の刷新案が合理化の一環としてなされていることを看過している、或は従来の人事の事前協議権を軽視しているなどと批判し、同調する者らと、その他の問題についても併せて月一回位の会合をもち、個人文書名或は組合「有志」名で意見を発表するようになった。

4  申請人ら「有志」はその後も組合執行部に対し批判的態度をとり続けた。

即ち、昭和四四年一〇月の国際反戦デー運動に関し、或は同年一一月の沖縄返環交渉問題に関して執行委員会の承認を経ずに組合員に吸びかけて行動委員会を結成し、或は個人名で活動し、昭和四五年五月には前記昭和四三年末の争議等について記録した「一九六八年末闘争記録」について執行委員会がなした記録配布販売先限定の措置は大衆運動を阻害するもので、執行委員会は言論問題を企業内問題としてのみ把握し、従来の言論問題を圧殺する立場をとったと批判した。

昭和四五年五月には申請人小園は組合を脱退し、同年末に行なわれた執行委員選挙では「有志」の中から申請人吉田、同駒沢、同出口が立候補し、申請人吉田のみが当選したが、申請人吉田は同年一一月一一日、一三日には個人名で執行委員会の方針を批判非難する文書を掲示したり、執行委員会に出席しないとの態度をとった。

また、昭和四六年二月には思想の科学事件以降執筆を拒否していた竹内好氏らより執筆拒否を解除するとの意向が明らかにされ、組合執行委員会もこれに対して「喜びとする。」との見解を表明したが、「有志」は言論闘争のなしくずし的状況を許容したと竹内好氏らの意向、執行委員会の見解を批判した。

(三)  新館三階部分返還問題の発生

(以下においても特にことわらない限り年度は昭和四七年を指す)

1 会社は一月頃から経費節減等のため訴外会社から賃借していた建物部分のうち新館三階部分を同社に返還する旨の計画をたて、具体的に検討して訴外会社にも内意を伝えたうえ、二月二九日の経協において返還理由及び返還後の会社内の部署の移動を説明し、早急に工事にかかりたいとして組合側の了承を求めた。同部分には組合事務室、診療室、応接室、会議室、書籍編集室があり、同部分の返還に伴ない、応接室等は廃止されるが、他室は他の階に移動することになっていた。

組合側は執行委員会を開き、会社提案について検討すると共に翌日、現況が多少異ることになる販売部、管理部、総務部、人事部、書籍第四、第六部については各職場の執行委員らを通じてその職場の組合員の意向を聴取したが、二、三の要望が出たのみで特に反対する意見は聞かれなかった。そこで三月二日組合は執行委員会において会社提案について了承する旨を決め、同日の経協において了承する旨の回答をし、同月四日には一般組合員に対しても経協事後報告として会社提案の新館三階部分の縮小に伴なう組合室の移転に了承するとの回答をした旨伝えた。

そこで会社は直ちに訴外会社に新館三階部分を返還する旨通告し、移転及び改修のため、一一日、一二日の人事部等の移動、間仕切り工事をはじめとして以降四月四日頃までの土曜、日曜を主な工事日とする予定をたて各部と打合せをし、業者に対する手配をした。

2 三月四日書籍第三部では自主的な職場懇談会が開かれたが、その結果会社提案に反対する旨の意見が多数を占めたので、同部組合員らは六日付で執行委員会に対し「(イ)会社案に対し、執行委員会はどのように問題を分折し、対応するのか。(ロ)返還に伴なう労働環境の劣悪化は重大であり、返還は組合での承認がなければなし得ないものである。(ハ)早急に職懇や大会を召集開催して全組合員の意見交換、討議を図って欲しい。」との要望書を提出した。

また申請人駒沢は同月六日、「職場縮小は会社の再編、合理化の一環であり、大衆討議を通じて意見を聞くことなく了承する旨回答した執行委員会の対応は不当であり、撤回を要求する。」旨記載した文書を組合掲示板に掲示し、同月九日には同趣旨を記載したビラを組合員に配布した。更に同日書籍第三部は職場懇談会を開き、前記六日付要求に対し、執行委員会の回答、説明を求め、その結果を同月一〇日付「三月九日職懇の報告」として一般組合員にも明らかにした。同月一〇日校閲部職場会議が開かれ、同部も同日付で書籍編集局の意見聴取、了承回答の撤回を求める等、執行委員会の措置に抗議する旨の文書を掲示した。

以上のような職場の声に対し、執行委員会は前記のとおり九日の書籍第三部の職場懇談会に執行委員を出席させ返還理由、作業予定等会社提案と了承回答に至る経緯を説明し、移転に伴ない生ずる同部の具体的な支障、要望を聴取したほか、二回にわたり「返還そのものには反対しないが、移転に伴ない生ずる支障には十分配慮せよとの立場で会社と協議している。全体として狭くなるのは自明のことであるが、問題はそれが労働条件にかかわって劣悪化をもたらすかどうかにある。この点については不当とはいえないとの判断である。」との執行委員会見解を表明した文書を掲示して執行委員会の措置に対する各組合員の了解を求めた。

既に会社は組合の了承回答後一次作業において移転の予定される人事部等に対して一一日、一二日の作業を明らかにし、三月九日には一一、一二日に移転作業を行なう旨掲示していたが、申請人五名は執行委員会のなした移転了承回答は組合の総意ではないとして実力で阻止することを決め、同月一〇日夕刻、組合「有志」代表吉田邦宏名で執行委員会の措置を非難し、移転作業実力阻止の意思を表明した「われわれは、移転の強行を実力で阻止する。」と題する文書を組合掲示板に掲示した。

(四)  三月一一日、一二日の移転作業と申請人らの抗議行動の状況

1  申請人五名は一一日早朝、移転作業予定の新館二階へ赴き、表側扉に「工事の強行を中止せよ。」とのビラを貼付した。

同日会社は管理部、総務部(子会社である大和サービス株式会社の従業員及び運転手控室を含む。)の新館二階から旧館一階へ、人事部の新館二階から新館一階へ、幹部室の旧館一階から新館二階への各移転作業のほか、電話工事、ゼロックス機械の移設、間仕切り工事を予定し、各関係業者に対しても工事を依頼していた。

午前八時頃、移転作業の責任者となっていた山本管理部長が課員一名と共に出社してきたところ、申請人五名は同人らが前日組合掲示板に掲示した文書を読んでくるように求め、新館三階部分の返還は職場空間の縮小をもたらすもので、執行委員会のなした同意は組合全体の意思でなされたものではない旨の発言をして作業の中止を要求し、以降出社してきた会社職制らにも立ちはだかって作業の中止を求めた。

そこで移転計画の最高責任者となっていた神谷局長は申請人五名に、その要求、申請人らの立場について問い糺したところ、申請人五名は「組合員としての立場で来ている。執行委員会の同意は組合の総意としてなされたものではない。執行委員会は手続を無視しているので申請人吉田、同駒沢が行動を行なう。工事を中止せよ。」等と主張した。神谷局長は「組合の意思は経協を通じて回答済である。組合内部の問題で工事を遅らせるわけにはいかない。午前九時三〇分に工事を開始するので妨害しないように。」と反論、説得したが、申請人五名は聞こうとせず、申請人吉田が表口に、申請人駒沢が裏口に坐り込んで、実力で作業を阻止する姿勢を示した。

2  そこで会社は組合に連絡し、平林委員長、岡田経協代議員に対し、申請人五名の抗議行動は組合の了承回答に反すると抗議した。

同委員長らは既に申請人五名が前夜に電話で移転の実力阻止を伝えてきていたことから、かかる事態を予測し出社していたが、再度申請人五名の主張を聞き、執行委員会の見解を明らかにして翻意を促すこととし、会社に対しては午前一一時まで作業を中止して欲しいと要望した。会社側が新館二階部分の作業の一時中止を了承したので同委員長らは申請人吉田、同駒沢を説得したが、両名は前記一〇日付文書と同旨の主張をし、かえって会社に対して移転作業の中止を申し入れるよう要求する程であり、話合いは決裂し、午前一一時両名は再び坐り込んだ。会社は事態の推移を見守り、二階部分の作業に着手せず、更に青木忠代志執行委員が加わった執行部側と申請人吉田、同駒沢との間で断続的に話し合いがもたれたが、一次的には坐り込みの中止を要望する執行部側とまず移転作業の中止を要求する申請人側の主張は平行線をたどった。

会社は工事のために外部の業者を待機させている関係もあって組合に対して数度にわたって催促し、作業の開始を通告したところ、組合は会社側経協代議員と解決について話し合いたいとの申し入れをした。会社がこれに応じたので午後一時から会社側は経協の定例メンバーが、組合側は委員長ら前記三名が出席して話合いが行なわれ、組合側から「了承の回答はしたが、その後組合内部で疑問や意見が出たり、本日のような異常事態が発生しているので混乱を避けるため、とりあえず、一一日、一二日の工事を延期して欲しい。」との要望がなされたが、会社側は「休日を利用した工事の進行を予定している。工事の延期、作業の遅延は待機させている外部業者及び返還後入室予定の会社との関係があり、会社の信用問題にかかわり、避けねばならない。」と会社の立場を説明して要望を拒絶した。

その後も平林委員長らは申請人五名に対し、会社との折衝経過を説明して、トラブルを避けるため坐り込みを中止するよう申し入れたが、申請人らは会社に対して再度作業延期を申し入れるよう要望し、組合と申請人ら間で意見の一致をみなかった。

3  午後三時から再度、会社と組合間の折衝がなされたが、会社側は再考の余地のないことを表明し、折衝は打切られたので、申請人吉田は表側扉の内側に、申請人駒沢は裏側扉の内側に坐り込み、他の申請人三名は近辺を徘徊して移転作業を阻止する姿勢を示した。会社側は作業員の増員、応援を受けて作業に着手することとし、午後三時過ぎ、神谷局長は申請人五名に対し、事務所内からの立ち退き、及び作業妨害の禁止を命じたが申請人らは応ぜず、作業員が裏口からロッカー等の備品を搬出しようとすると申請人吉田が申請人駒沢と共に並んで坐り込んで妨害し、表側から搬出しようとすると申請人吉田が戻って坐り込んで妨害した。申請人駒沢は一方の壁に背をもたれて足を投げ出し、他方の壁に両足を踏んばる格好で通路をふさぎ、職制らがあけようとすると体をのけぞらせて抵抗したので裏口側からの搬出は困難となった。やむなく会社側は申請人吉田の頭越しに、或は男子手洗所内を通って旧館に入り階下へと備品を搬出した。二階からの搬出作業は午後三時四〇分頃に終了し、続いて一階からの搬入作業が行なわれ、午後四時一〇分頃同作業も終了したが、作業の遅延のため、当初の予定と異なり、各部屋の定位置に机、椅子等を配置するには至らず、備品等は新館、旧館の事務室や廊下に置かれたままであった。右搬出入作業の間、申請人鈴木、同遠藤、同出口の三名は作業中の職制らの写真を撮ったり、メモをとったりして周囲を徘徊し、また作業に従事する者を揶揄したりした。なお、不測の事態の発生を避けるため、組合の前記岡田経協代議員、青木執行委員が作業を見守った。

午後五時申請人吉田、同駒沢は坐り込みを解き、同人らは退社したが、電話工事は午後七時まで続けられ、間仕切り工事も午後九時まで続けられた。

4  翌三月一二日は当初予定の移転後の部署の整備、間仕切り工事のほか前日の残りの作業等も含めて移転作業が続行されたが、間仕切り工事は同日午後八時まで行なわれ、また工事部分の電話については二、三回線が翌一三日正午まで不通となるなど工事遅延の影響が生じた。一一日に終了予定であったゼロックスの機械移設工事についても再度外部業者に依頼され、一三日に改めて移設工事がなされた。

(五)  申請人五名に対する自宅待機命令の発令と組合内の状況(以下(九)項までにつき引用する会社主張の別表記載の申請人らの行為のうち当事者間に争いのないもの及び争いがあるものにつきこれを認定した疎明資料等は別表最右欄記載のとおりであるが、本文の認定はこれらの行為を必要に応じ敷衍したものである。)

1  会社は三月一三日、三・一一行動に参加した申請人五名から事情を聴取することとし、呼び出しに応じた申請人駒沢、同鈴木、同出口に対し、神谷局長らが当日の申請人らの行動について聴取したが、申請人三名は当日は組合員の一人として行動したから事実確認も組合を通して行なって欲しいと述べ、申請人駒沢、同出口は一部事実を認めたりしたが、申請人鈴木は事実関係については黙否した。呼び出しに応じなかった申請人吉田及び連絡のとれなかった申請人遠藤に対しては更に電報で一四日に神谷局長のもとに出頭するよう伝えられたが、二人は出頭しなかった。

以上のような事実確認に対する申請人五名の対処の仕方及び後記一三日に申請人吉田らが掲示した文書の内容などから、会社は移転妨害行為に対する処分決定までの間に更に不測の事態が生ずることを懸念し、申請人五名に業務命令として自宅待機を命ずることとし、神谷局長名で三月一一日の事実経過の概略を記載した文書を掲示し、経協において申請人五名に対して処分を前提に自宅待機を命ずる予定である旨通知すると共に、同月一四日午後五時頃申請人出口を除く四名に対して個別に出頭を命じた。神谷局長は各申請人ら所属部長立会のもとに処分内容決定までの間の自宅待機を命じたところ、四名は「組合員の処分に関わる命令であるから組合機関を通すべきである。直接申し渡されても困るから一応聞きおくだけにする。」などと述べて命令を無視する態度を示した。なお、既に退社していた申請人出口に対しては同日午後八時頃自宅に電話で同様に自宅待機を命ずる旨が伝えられた。

2  執行委員会は同月一三日申請人五名のとった移転妨害行動について協議すると共に、組合員らに対して一一日の事実経過を明らかにし、更に執行委員会の見解として、申請人五名は組合意思を体現するとして行動したが、これは独善的、反組合的行動であると同人らを非難する趣旨の文書を掲示した。

一方、申請人らは同月一三日組合「有志」代表申請人吉田名で独自に同月一一日の事実経過を明らかにすると共に、会社及び執行委員会の処置を非難し、全体討議を呼びかける旨の文書を掲示した。

更に同月一四日には書籍第三部職場懇談会が前記九日に執行委員が説明して明らかとなった新館三階部分返還の理由、工事予定を明らかにして、執行委員会に対し、返還問題について他職場の意見、要望を聴取して再検討すべきである旨の再度の要望書を掲示したので組合員間でも新館三階部分返還問題についての執行委員会の対処、申請人五名の行為の評価をめぐって論議が分れるに至った。

なお、「有志」ら(申請人九名を含む。)は自宅待機命令について討議し、申請人五名の行為は正当なものであり、命令は従えないものであることを全体で確認するに至った。

(六)  三・二四処分の発令とそれまでの経緯

1  同月一五日申請人五名が出社してきたので午前九時二〇分頃タイムレコーダー付近で居合せた星野部長が五名に対して自宅待機命令が出ている旨改めて申し渡したが、五名は口々に「業務命令とは認めない。」と抗議し、同部長の注意を無視してそのまま各所属部室に入室した。

申請人吉田は雑誌編集局に入り、自席に坐ったので、和田部長が自宅待機命令に従って即刻退去し、自宅で連絡を待つよう注意したが、申請人吉田は「一一日の坐り込みは組合員として行動したのであり、行為の過程で労使間交渉も持たれているから正当な行為である。立ち退きを命ぜられたのも業務命令とは受け取っていない。従って処罰の性格をもつ自宅待機命令も違法である。」などと反論して退室を拒否した。同部長が説得して再三退却を命じたが、申請人吉田は居坐ったままであった。

申請人駒沢は書籍第二部室に入り、「命令は認められない。」と言って黒板の自分の名札の横に「自宅待機命令粉砕」と書いたステッカーを貼り、藤田書籍第二部長の再三の注意にも従おうとしなかった。

校閲部所属の申請人鈴木、同遠藤、同出口に対しては斉藤部長が注意したが、三名は「断わる。」「何を言ってるんだ。」等と言って拒否し、室を出入りしたりした。同部では午後会議室で業務進行の連絡、調整、討議を行なう部会議が予定されていたが、会議を開こうとしたところ、三名が入室してきた。同部長が退去を命じたのに対し、三名は「退去しない。」と言って居坐り、「自宅待機の理由を言え。」「そんなものに従えるか。」などと議論をふきかけて絡み、他の部員も自宅待機命令の理由について発言したりしたので、同部長は部会議事項を討議するのは不可能であり、三名出席のまま会議を続行させるのは職務規律の点からも妥当でないと判断し、やむなく会議中止の措置をとった。

また、同日午後書籍第二部で部会議を開いていたところ、午後一時五〇分頃申請人駒沢が入室し、席に着いたので藤田部長が退席するよう再三注意したのに申請人駒沢は動こうともしなかった。同部長は申請人駒沢の態度から部会議の進行は混乱を招くと判断して中止の措置をとった。

申請人五名は翌一六日も出社して「自宅待機命令は処分を前提とするんだろう。」「つまり処分なんだろう。」「処分ならば理由を言いなさい。」などと自宅待機命令が不当であるとして高梨局長に執拗にまつわりついたり、職制らを罵倒したりなどして三・二四処分までの間自宅待機命令に従わず、別表記載のとおり出社してきた職制らに議論を挑んだり、部会議室に侵入して中止に至らせたりして会社業務を妨害した。

2  会社は三月一七日の経協において組合側に対し、同月一一日の移転妨害行為に関して就業規則四一条三号、六号該当として休職一か月(この間は家族手当を除く基本給の半額及び家族手当を支給)二名、同条六号該当として譴責、始末書提出三名の処分を決定した旨通知した。組合側は同月二一日に組合大会が予定されていることもあり検討期間中処分の執行は認められないとの見解を表明したので会社側は組合の意見を聞くために処分の決定、通知を待つ旨伝えた。同月二三日の経協で組合側は後記二一日の組合大会の結果をふまえて執行委員会の立場を説明したところ、会社側は組合の意見を聞くための期間を打切り、処分を早く発令したいと伝えた。

組合内では同月一五日以降「会社の自宅待機命令は不当である。申請人五名の行動についての批判の権利は留保するが、執行委員会の移転了承回答は組合ルールを無視したものである。」などと執行委員会を批判し、組合大会を要求する旨の文書が個人名或は職場懇談会名で掲示されるようになった。そこで執行委員会は同月二一日組合大会を開くこととし、同日付の「実力行動(ゲバルト)の本質を明らかにする。」と題する書面で組合活動と申請人五名の行動との関連について言及し、「申請人らの行為は組合意思の代表としてなされたものではなく組合否定の行為である。処罰の要求があればその妥当性から軽重に至るまで経協を通じて協議していくつもりである。」とその見解を明らかにした。同日の組合大会においては申請人五名に対する会社の処分問題及び組合員としての統制の問題が討議される予定であったが、処分問題が先議されることになったので執行委員会は「会社側の処分はやむを得ない。」旨の決議案を提案した。同案は賛成五〇、反対七三、保留一〇の反対多数で否決されたので執行委員会は不信任の意思表示であるとして総辞任の意思を表明して退席した。

3  会社は三月二三日の経協において同月二一日の組合大会の状況と執行部の立場を聞き、早急に処分を発令することとし、翌二四日申請人五名の三月一一日における移転妨害行為について申請人吉田、同駒沢についてはその行動が計画的で正当な理由もなく業務に支障を生ぜしめたものであるから就業規則四一条三号、六号四二条(以下四一条各号適用の場合には同条を省略する。)に、申請人鈴木、同遠藤、同出口については会社の立ち退き命令に従わず、いたずらに社内にとどまり、申請人吉田、同駒沢の行為を助勢したもので同条六号に該当するとしてそれぞれ前記争いのない三・二四処分(申請人吉田、同駒沢に対し休職一ヶ月、同鈴木、同遠藤、同出口に対し譴責及び始末書提出)を発令した。

(七)  四・二四処分、五・二四処分発令までの経緯等

1  申請人吉田、同駒沢、同鈴木、同遠藤、同出口は前記のとおり自宅待機命令を受けながらこれに服さず別表の三月一五日欄以降記載のような部会議妨害等の行為を繰返しているうち、三・二四処分が発令されたが、申請人ら「有志」は同処分は不当なものであり、また三月二一日の組合大会の決議は処分反対の決議であって三・二四処分を受けた申請人五名が個々的に対応すべきでなく会社と組合間の交渉により解決すべきであるとして処分に従わないことを決め、別表の三月二七日以降の欄記載のとおり申請人吉田、同駒沢はその後も会社内に入って自席附近を徘徊し、職制の制止を無視して部会議の部屋に入り込み、所属部長らに議論をふきかけ、退去命令に対しては「組合決議に基づいているので個人的には対応できない。」などと言って拒否し、部会議の開催を不能にするなどの行為を繰返し、また譴責処分を受けた申請人鈴木、同遠藤、同出口は所定の始末書を提出しないのみが、始終部屋を出入りして斎藤部長が再三注意するのに殆んど業務に従事しようとしなかった。

申請人鈴木、同遠藤、同出口はそれぞれ校閲部において会社刊行の「世界の名著」或は「日本の名著」の校正を担当し、著者の原稿、校正刷(原稿を活字に組んだもの)、著者校(校正刷に著者が更に加除訂正したもの)を保管、所持していたが、斎藤部長は三・二四処分後右三名が就業を拒否しているので業務が遅滞することを懸念し、既に同年四月四日申請人遠藤に対し、同月六日同鈴木に対し、同月一九日同出口に対し、同月二一日右三名に対し、それぞれ原稿等を提出するよう命じたところ、同人らは無視して提出しようとしなかった。そこで同部長は右三名の未提出の原稿等の分量について調査したところ、同年五月半ばまでに右三名の未提出の原稿四件一、二〇一枚、著者校など三七六頁に及ぶことが判明した。原稿は著者が作成したかけがえのないものであり、また著者校も同様に著者が校正の手を入れた貴重なもので、それらの紛失は直ちに業務の支障をきたすのみならず、会社の体面、信用にもかかわるので、会社は同月一二日に申請人鈴木、同出口に対し、同月一九日には同遠藤に対し、それぞれ期限(同遠藤に対しては同月二二日午後五時まで)を付したうえ内容証明郵便をもってその所持にかかる一切の原稿等を提出するよう命じたが、右三名は、同人らの就業問題は組合全体として対処すべき問題であるとして右内容証明郵便を執行委員会に預けたり、「原稿等を私的に所有している事実はない。会社の業務支障等に関する責任は処分を乱発した会社自身にある。」との内容の文書を掲示したりして命令を無視し、提出しようとはしなかった。

なお、四月以降小売店等から定期刊行と公表されている「世界の名著」の刊行が遅れていることについて問い合せがあり、その後斎藤部長は申請人出口らに原稿、著者校等を提出するよう説得する一方、編集担当部長である和田書籍第三部長、藤田書籍第二部長と相談し、責任編集者に対して控え校正刷による再度の著者校正を依頼し、業務の進行を図ったが、申請人出口が著者校等を保管していた「モンテスキュー」の(世界の名著)は四か月近く刊行が遅れた。

そこで会社は同年四月二四日これら申請人五名の自宅待機命令発令後前同日までの別表記載の行為(但し原稿等不提出を除く。)について就業規則四一条三号、五号、六号に該当するとして前記当事者間で争いのない四・二四処分(申請人吉田、同駒沢に対し休職二ヶ月、同鈴木、同遠藤、同出口に対し休職一ヶ月)を発令し、一般従業員に対しても会社からの「お知らせ」として同処分を発令したことを明らかにし、次いで、別表記載の同月二四日以後五月二五日までの申請人鈴木、同遠藤、同出口の行為につき右三名に対し前記当事者間で争いのない五・二四処分(休職二ヶ月)を発令した。

2  組合では四月三日執行委員総辞任に伴い、執行委員改選のための選挙管理委員選出を議題とする臨時組合大会が召集されたが、定足数を欠き流会となり、同月一四日の大会において改めて執行委員総辞任が確認され、選挙細則に則り、新執行委員選出のための選挙管理委員が選出され、同年五月二日執行委員改選選挙が施行されたが、組合の前三役はそのまま再選され、執行委員一八名のうち八割が再選された(なお申請人駒沢、同鈴木、同出口、同高橋も執行委員に立候補したが落選した。)。

五月九日、新執行委員による執行委員会が開かれ、前記各処分を受けた申請人五名との卒直な意見交換を行なう旨の決議がなされ、その旨が申請人五名に伝えられたが、同申請人らはこれを拒否した。

(八)  六・二四処分、七・二四処分発令までの経緯

1  休職中の申請人五名はその後も社内に入り、六月九日頃からは三階書籍編集局内のロッカーや壁、ドアに「処分粉砕」「解雇を撤回せよ。」などと記載したビラ、ステッカーを多数繰返して貼付し、室内の美観を害するに至らせ、また部会議室に入り込んで会議を中止させるなどの行為を繰返した。

そこで会社は四・二四処分後の別表記載の四月二五日から六月二三日までの申請人吉田、同駒沢の行為について「この休職期間中に反省がみられないときは最も重い処罰を適用せざるを得ない。」との警告を附して、就業規則四一条三号、五号、六号を適用して前記当事者間で争いのない六・二四処分(休職二ヶ月)を発令すると共に右二名を総務局付とした。

なお「有志」は六月二六日付文書で「会社が組合と協議することなく六・二四処分に附加して申請人吉田、同駒沢を総務局付としたのは人事の事前協議制を無視したものであり、これに何らの異議申し立てもせず、対応を放置した執行部の責任は厳しく問われねばならない。」と執行委員会を非難した。

2  休職中の申請人五名はその後もそれまでの不当な処分に抗議するとして社内に入って徘徊し、申請人吉田、同鈴木は別表記載の七月三日、同月二〇日の各業務妨害行為をした。

そこで会社は五・二四処分後の別表記載の五月二九日から七月二一日までの申請人鈴木、同遠藤、同出口の行為について六・二四処分と同様の警告を附して就業規則四一条三号、五号、六号を適用して当事者間に争いのない七・二四処分(休職二ヶ月)を発令すると共に右申請人三名を総務局付とした。

3  六月一日新執行委員会成立後はじめての組合大会が開かれ、執行委員会は「有志」の行動に関連して、休職中の申請人五名の行動は組合を逸脱したものであり、また処分問題は労使間の協議事項ではないとして「組合は申請人五名の処分問題にかかわり得ない。」との大会決議をなすよう提案した。「有志」らは統制違反については組合規約により統制委員会を設けて審議すべきだ等の主張をしたが、同案は賛成多数で採択され、「組合は申請人五名の処分問題にはかかわり得ない。」との大会決議がなされるに至った。

(九)  申請人吉田、同駒沢の解雇と八月二四日の抗議行動等について

1  休職中の申請人五名は同年八月七日からはそれまでの処分に抗議するとして会社の嶋中社長及び高梨茂専務取締役に対して面会を強要し、断わられるや役員室入口の秘書室に侵入し、「処分粉砕」と大書したゼッケンを着用のまま坐り込んだりした。同室は来客の多い開発室、会長室、役員室の入口にあたり外部に対する会社信用の問題もあり、放置できないので会社側はやむなく申請人五名に対し排除する行為に出たが、申請人五名はスクラムを組んだり、扉にしがみついたり、排除しようとする職制、従業員の足などを蹴って激しく抵抗した。連日の坐り込み行為と申請人五名の抵抗の激しさのため、しだいに職制ら及び加勢に加わった会社従業員らも時には申請人らの足をひきずったりして排除せざるを得ないようになった。同月二二日には午後四時三〇分過ぎ頃、秘書室前に坐り込んだ申請人駒沢らの排除行為がなされた際、足で蹴ったりして暴れる申請人駒沢に対して斎藤部長のとった行為をめぐって紛糾し、同日午後五時頃申請人五名が校閲部長席にいた斎藤部長を取り囲んで罵倒するなどしたので申請人五名と排除にあたる職制ら及び一般従業員とは感情的にも対立するようになった。

そこで会社は申請人吉田、同駒沢について雇用契約を維持させることは不可能であると判断して解雇することとし、八月二三日の経協で組合側に対し「右両名について六・二四処分後反省の色がみられないので就業規則二六条二号を適用して本日付をもって解雇したい。」と通告した。組合は組合員の身分はあるから協議すべきであるとの見解を表明したが、会社は同条項により前記当事者間で争いのない同月二三日付解雇の意思表示をした。

2  申請人五名は既に数回にわたって休職処分を受けて前記のような行為を繰返していたことから申請人吉田、同駒沢について六・二四処分の期間が満了となる八月二三日には解雇処分がなされるものと予想し、同月二四日には抗議行動をとるべく「有志」ら及び支援の労組員と共に会社前で抗議集会を開く予定をたてていた。なお、申請人五名以外のその余の申請人らも従来から「有志」活動に参加していた関係から申請人吉田、同駒沢に対する処分に抗議すべく申請人五名と同調の姿勢をとることとしていた。

同日朝申請人五名及び申請人小園は午前八時頃会社正面及び裏口扉ガラス等のほか、社内の会長室、役員室、会議室、人事部室、編集室等の机、椅子、ロッカー、キャビネット等会社内外の至るところに「解雇粉砕」とガリ版印刷した一、〇〇〇枚以上の短冊状のビラ、ステッカーを貼付し、更に三階書籍編集室の和田部長らの机、椅子に糊をつけて坐れないよう嫌がらせをしたりした。その後申請人らは正面入り口附近でビラ配布をしたり、或は出社してくる職制らに立ちはだかって「昨日の二名の解雇に賛成したのだろう。」などと執拗に詰問したりし、また申請人五名及び申請人小園は午前八時三〇分頃社内に入り自席に坐っていた松島管理部長を取り囲んで罵言を浴びせ、威嚇し、申請人出口は携帯拡声器のボリュームをあげて耳元で怒鳴ったりし、申請人鈴木らは休職中であるから出社しないよう注意する同部長に対して申請人駒沢は机をこぶしで強く叩き、申請人小園は同部長の態度を嘲笑したりした。

申請人高橋はビラ配布中、始業時直前に直接の上司である秋山広告部長から注意を受けたが、同申請人は「会社が処分を撤回するまで抗議する。」と返答してその後は自席に戻らず、申請人小園、同佐藤、同駒沢(桜)も就業しようとはしなかった。

同日午後一二時二〇分頃、申請人ら及び支援の労組員ら約六〇名は会社前で集会を開き、申請人吉田、同駒沢に対する解雇について会社に対して抗議する旨決議した後、申請人出口の「抗議行動に移ります。」との指示によりスクラムを組み、申請人吉田、同遠藤らを先頭に会社の正面入口から社内に入りはじめた(なお、申請人佐藤は社外にとどまった。)。集団は一階エレベーター前のフロアーで一時、会社側職制及び一般従業員(主に組合役員ら)らに阻止され、会社側は「帰れ、帰れ」と連呼し、乱入集団と対峙する格好のまま、もみあい状態となったが、集団参加者は一団となって入り、一階役員室に通ずる秘書室入口の扉に体当りし、蹴る、押す、叩くなどしたため、会社側も破られまいと内側から押えたりし、社内は入ろうとする集団参加者と阻止しようとする職制、従業員が入り乱れて騒然とした状態になった。申請人出口は「次は二階だ。」と指示し、集団は階上に上がったが、二階扉が閉められていたので更に三階に上り、申請人吉田、同高橋らが先頭になってスクラムを組み、書籍編集局に通ずる入口の観音開き鉄扉を間にして阻止しようとする職制らとの間で激しいもみあいになった。一団は阻止しようとする職制、従業員らを殴ったり、或は股間を蹴ったりして扉を押しあけ、更に書籍編集局入口の木製ドアを押しあけ、申請人吉田を先頭に同人が斎藤部長らに体当りを加えて転倒させ、同部長のメガネをとばすなどして局内に乱入した。乱入後は申請人出口、同小園、同駒沢(桜)を先頭にしてスクラムを組み、制止する和田部長らをつきとばしたり、或は申請人遠藤の「こいつは委員長だ。」などの攻撃目標の指示により、平林委員長を机に押しつけて殴る、蹴るなどの暴行を加えたのをはじめ、他の平林(孝)、荒井、丹羽、横森、高橋らの従業員に対しても殴る、蹴る、上衣を引き裂くなどの暴行を加えた(なお、これらの暴行により和田部長、平林委員長ら会社従業員多数が顔面、胸部に全治一週間等の傷害を受けた。)。

その後一団は申請人小園の「もうこれ位でいいだろう。」との制止を機会に退去の態勢をとり、シュプレヒコールを行ない、階下から駈けつけた職制、一般従業員らと対峙する格好のまま階下へ下りはじめたが、一団は途中従業員らを引きずり込もうとして従業員荒井と申請人吉田が絡み合ったまま階段をころげ落ちるなどした。更に一階中廊下でも職制らともみ合い状態になり、一団は管理室等にも押し入ろうとして管理室入口のガラスを割り、内側から押さえて侵入を阻止していた島村海外室副室長に裂傷を負わせたりした。

午後一時過ぎ頃騒ぎは漸く治まり、一団は労働歌を歌い、社外に出て会社従業員らが「暴力団かえれ。」等と叫んだりする中でジグザグデモをした後解散した。

更に同日午後三時過ぎ頃申請人五名と申請人小園、同高橋及び書籍第三部の布川は高梨書籍編集局長席前に坐り込み、職制らの退去命令にも応じようとしなかったので、職制及び総務部員らが排除したが、その際、布川及び申請人小園を除くその余の申請人六名は腕を組み合い、床に仰向けに寝て足をばたつかせるなどして抵抗した。

3  八月二四日以降申請人小園、同高橋、同佐藤、同駒沢(桜)は申請人吉田、同駒沢に対する会社の解雇処分等に抗議するとしてタイムカードに出退勤の打刻のみして就労せず、職制らの注意にもかかわらず応じようとしなかった。

また休職中である申請人鈴木、同遠藤、同出口は解雇された申請人吉田、同駒沢と共に連日の如く社内に侵入し、申請人小園、同高橋と共謀して別表記載のとおり執拗に職制らの業務妨害を繰返し、或は七名共謀して朝から会社入口附近にたむろして出社してくる職制らに体当りしたり、足蹴りしてその出社を妨害した。

4  会社は七・二四処分後前記2の行為のほか別表記載のような行為を繰返す申請人鈴木、同遠藤、同出口について雇用契約を維持することは困難と判断して申請人吉田、同駒沢に対すると同じ就業規則条項を適用して前記当事者間に争いのない九月二〇日付解雇の意思表示をし、また、申請人小園、同高橋については前記八月二四日の会社内乱入事件に際して指揮したりしたこと及びその後業務に従事せず別表記載のとおりの行為をしたことを理由に就業規則四一条三号、五号、六号を適用して当事者間に争いのない九月二一日付休職処分をした。

5  組合ではその後八月三一日に組合大会が開かれ、申請人らの行動についての討議がなされたが、申請人吉田らは「自己批判する気はない。」などと発言してその非を認めなかった。そこで執行委員会が「『有志』は過去一連の行動を自己批判しない限り労働者としては認められない。」旨の決議提案をしたところ、同案は可決されるに至った。

(一〇)  その後の申請人小園、同高橋に対する一一月二一日付休職処分までの経緯

1  九月二一日午前一〇時一〇分頃申請人五名と同高橋は他の職制と共に裏通りから出社してきた和田部長を取り囲み、ネクタイや服を引っ張り、背広の片袖を破り、ズボンを裂けるに至らせ、更にガレージに押しつけるなどしたので、斎藤部長、藤田部長が間に割って入ったところ、右申請人六名は同部長らの喉を締めあげるなどの暴行を加えた。和田部長は漸く逃れたが、階段の途中で転倒させられて左手親指を負傷した。

更に同日午前一〇時三〇分頃右申請人六名は三階書籍編集局内に入り、自席で一息入れていた藤田部長を取り囲み、大声で議論をふきかけ、斎藤部長の退去命令にも従わず、同部長を取囲んで数人でつきとばす等の暴行をしたので職制らが右申請人六名を廊下まで押し出したが、右申請人六名は廊下でも大声を出し続けたため、ビル内の他の会社から女子社員がこわがって外出できないとの苦情が会社に持ち込まれる程であった。

また同日午後三時一五分頃野中書籍第四部長が書籍編集局内に入ろうとしたところ、右申請人六名は同部長を取り囲んでこれを妨害し、同部長がふり払って自席に坐るや、取り囲んでつきまとったため、同部長は来客の応待のため一階受付に赴くこともできなかった。同部長が電話でその旨を一階受付に電話しようと販売部室に入ったところ、「逃げるのか。」と騒ぎながら右申請人六名も続いて入室した。その際居合せた渡辺総務部次長が制止したところ、右六名は同部長にもワイシャツを破るなどの乱暴をした。

2  会社では申請人佐藤、同駒沢(桜)を除くその余の申請人七名の職制取り囲み等による業務妨害が続いているため同月二五日午前九時から管理職が集まり、対策を協議し、管理職をA、B、Cの三班に分け、一時間交代で一階から二階に至る階段の中間踊り場で立番し、侵入を阻止して二、三階の会社業務を守ることになった。

同日朝から右申請人七名は「解雇粉砕」と書いたビラを受付外側に貼付したり、職制の出社を妨害したりしていたが、午前一〇時三〇分頃からA班一〇名が配置についていたところ、同時四〇分頃申請人五名(なお途中から申請人高橋も加わった。)が侵入しようとし、職制らと踊り場附近で押し合い状態になった。駆けつけた斎藤部長らが右申請人六名を一階に引き戻そうとしたところ、申請人駒沢が同部長の右胸を蹴り、入院加療二週間全治二か月を要する右第九肋骨々折、胸部打撲震盪症の傷害を負わせた(なお右行為により申請人駒沢は昭和五〇年二月一四日当裁判所で懲役六月執行猶予二年の判決の言渡しを受けた。)。

翌二六日には申請人佐藤、同駒沢(桜)を除くその余の申請人七名は午前中から受付にビラを貼ったり「処分粉砕」のゼッケンをつけて社内に出入りし、午後一二時一〇分頃からは前記八月二四日と同様社前集会を開き、同時三〇分頃からは参加者全員約六〇名で会社内に入り「抗議文」を星野部長に手渡し、その後も右申請人七名は社内の各所にビラを貼付したりし、翌二七日も右申請人ら(但し、申請人駒沢を除く。)は午前中から同様にビラを貼付したり、金子書籍編集局次長を取り囲んでかかってきた電話を「取り込み中です。」と言って切るなどしたりした。

その後も右申請人七名は連日の如く二階、三階の編集室や受付ロビー、入口などにビラを貼り、落書をするなどを繰返し、特に会社掲示板の掲示は頻繁に落書され、破り捨てられたので会社は掲示板に透明プラスチック板の覆いを作り鍵をかけるように作りかえた程であり、更に一〇月五日、六日には申請人遠藤が秘書室入口扉等に「不当逮捕粉砕」と赤のポスターカラーで大書するなど無数の嫌がらせ的行為を繰返した。一一月二〇日には前記八月二四日と同様右申請人七名を含む約六〇名の参加者のもとに集会を開き、午前一〇時三〇分頃会社内に乱入し、また同日午後一時一五分頃は乱入しようとして職制らに阻止されたが、その際も右乱入者らは会社従業員らに蹴る、突くの暴行を加えた。

3  そこで会社は同月二一日申請人小園、同高橋に対し、就業規則四一条三号、六号を適用して前記当事者間に争いのない休職処分をした。

(一一)  その後の申請人小園、同高橋解雇に至るまでの経過

1  一二月五日午前一〇時五分頃職制らが出社してきた際、待ち構えていた申請人小園が他の申請人五名及び同高橋に合図して呼びよせたところ、申請人遠藤、同出口は野中書籍第四部長につかみかかり、更に申請人吉田、同高橋が勢いをつけて正面から同部長に組みつき、申請人吉田は同部長のコートをつかんで引き廻し、ガレージの方へ引きずりこもうとした。職制らも入構しようとして一団となり裏口からなだれ込もうとしたところ、申請人吉田がドア内に入るのを避けて急に進路を変えたため、自らドア左側のガラス壁に背中を打ちあてて大型ガラスを破損させるなどした。

右のほか申請人小園、同高橋は申請人五名と共謀して出社妨害、職制取り囲みによる業務妨害、ビラ貼付行為等を繰返したので会社は就業規則四一条三号、六号を適用して昭和四八年一月二一日付で申請人高橋に対し休職処分、同条六号を適用して同月二二日付で申請人小園に対し譴責処分をした。

2  同月二二日松島総務局次長は申請人小園に対し、就業を命じたが、同人は業務に就かず、一方譴責処分において命じられた始末書も提出せず、同年二月一二日には申請人駒沢、同鈴木、同遠藤、同高橋と共に三階書籍編集局内に全面糊付のビラ多数を貼り散らすなどし、その後の会社のなした就業命令にも従おうとしなかった。

そこで会社は就業規則四一条六号を適用して当事者間に争いのない同年三月七日付懲戒解雇処分をした。

3  申請人高橋は同年一月二一日の休職処分後も申請人五名及び申請人小園と共に出社を妨害し、社内に入り込んで徘徊し、前記2のビラ貼付等の行為を繰返した。

そこで会社は就業規則四一条六号を適用して当事者間に争いのない同年三月二二日付譴責処分にした。

4  その後会社は申請人高橋に対し再三にわたり就労を命じたが、同人はこれを拒否し、他の解雇された申請人らと出社妨害をしたり、社内を徘徊して業務に就こうとしなかった。

そこで会社は同年五月一一日申請人高橋に対し、就業規則四一条六号を適用して申請人小園に対すると同様の懲戒解雇処分をした。

(一二)  申請人佐藤、同駒沢(桜)の解雇について

右申請人二名は前記八月二四日の抗議集会、行動に参加した後は(なお申請人佐藤は社内には入らなかった。)申請人吉田、同駒沢に対する解雇等について会社が理由を明らかにしないこと、会社が同申請人らに暴力をふるったことなどに抗議するとして出社してタイムカードを押しながら業務に就こうとはしなかった。会社は同年一月一六日に申請人佐藤から(但し申請人駒沢(桜)も同席した。)同月一九日に申請人駒沢(桜)から事情を聞くと共に就労するよう説得したが、両名はかえって申請人五名の解雇等に抗議し、それぞれ「今後も業務に就く意思はない。」などと言って全く今後も就業する姿勢を示さなかった。

そこで会社は同年二月六日右申請人両名に対し、申請人小園、同高橋に対すると同様の就業規則条項を適用して懲戒解雇する旨の意思表示をした。

なお組合は同年一月三〇日付で申請人佐藤に対し、「就業拒否に対する処分が予想されるので対策につき話合いたい。」との申し入れをしたが、申請人佐藤は組合との話合いでも前記六月一日の組合大会での「申請人五名の処分問題にはかかわり得ない。」旨の決議などとの関連を糺したりして実質的に処分に対する協議を拒否したので話合いが打切られたことがあった。

(一三)  その後の経過

その後も連日の如く申請人らは職制らの出社妨害、取り囲み、会社内乱入、暴力行為等のほか解雇等に抗議するとして会社社長宅等に押しかけ、応待に出た家人を誹謗したり、ハンドマイクで騒ぎたてたりしたので、申請人らの刑事事件が当庁に係属するに至り、一方、申請人側においては会社従業員が支援労組員に暴力をふるったとして告訴すると共に損害賠償請求の訴を起こしたりするに及んだので本件紛争の収拾はつき難いものとなった。

三  以上一及び二に認定した事実に基づいて申請人らに対してなされた各処分の効力について順次検討する。

(一)  先ず申請人ら主張の無効理由のうち各申請人に共通するものについて判断する。

1  申請人らは会社のなした各処分は労使間の人事の事前協議の慣行に反し、無効である、従ってまた申請人らの各処分に対する抗議行動は正当であると主張する。

この点について昭和四三年九月三〇日開催の経協において「会社は最終案の一歩前の打診案で本人の意向を聞く。その際意向は尊重する。回答は組合を通じて行なう。」ことなどを骨子とする人事の事前協議のルールについての確認がなされたことは当事者間に争いがなく、また証人菅原啓州は非違行為を含めた会社の人事については慣行上労使の協議事項である旨証言する。しかし、《証拠省略》によれば、前記二(以下特に記さない限り二項を指す。)(一)、2のとおり労使間において人事の事前協議の制度化が試みられ、結局協約締結には至らなかったものの、昭和三六年八月「週刊公論」休刊決定の際約三〇名の従業員の配属先を決めるために各人の意向を打診したことが契機となって、(二)、2のとおり社内体制の変更などについては事前に組合と協議し、また発令前の配転先については本人の意向を聞くこととし、その後配転については経協を通じて組合と協議してきたこと、昭和四三年春頃から人事の事前協議の問題は経協において数度にわたって討議され、前記文言条項のほか、「会社側は最終案を本人に通知し、組合員は正式回答を経協を通じて言うように申し入れる。会社側は最終案を経協を通じて組合に申し入れる。両者はほぼ同時であること。」など全五項目からなる前記確認がなされたが、これは口頭でなされ、労使双方が独自のメモとしてそれぞれの立場で作成したので細部にわたる点で不十分なものであったこと、そこで更に拡大経協で討議されたが、結局交渉は決裂し、最終的合意には至らなかったことが認められ、右認定のような確認に至るまでの経緯及び確認事項中に本人意向の尊重など非違行為に対する懲戒処分或は通常解雇処分では考えられない文言が入っていることからみても右確認にいう人事問題とは労使共に配置部署の変更等の人事異動(主に配転)のみを前提にしていたということができる。また菅原証人がその証言の基礎とする昭和四三年の申請人遠藤の処分問題については経協が開かれたか否か自体明確でなく、昭和四二年頃生じた内藤製作部長の処分問題については《証拠省略》によれば非組合員である同部長に対する処分が経協を通じて組合に通知されたにすぎないことが認められ、更に《証拠省略》によれば、その後昭和四五年に生じた一組合員の経歴詐称についての処分も同様にたんに通知がなされたにすぎないことが認められるから、同証言は本件休職、解雇各処分について事前協議の慣行があったことを認めるに足る資料とはいえない。

(一)、1のとおり過去、労使間の懸案事項については経協において或は拡大経協において討議されるなどしてきたが、その対象事項は多種、多様であるうえ、如何なる事項が会社、組合間の協議事項、意見聴取事項、或は説明事項であるかについては労使間の取決めはなく(その制文化が果されなかったことは(一)、2のとおりである。)、前記(二)、2のとおり社内体制などについては会社は組合と協議し、前記昭和四二年の経歴詐称による処分問題については通知にとどめるなどしてきたのであるから個々の事項毎に事前協議の対象となっているかを判断するよりほかないと解すべきところ前記(八)、3のとおり六月一日の組合大会では会社の組合に対する懲戒処分は事項協議の対象ではないことを前提とした組合決議がなされたこと、非違行為を理由とする懲戒休職解雇処分及び通常解雇処分については会社において先例がなく、従って協議の手続がとられたこともなかったことを考慮すると、会社、組合間において懲戒処分、通常解雇につきその効力の有無に影響を及ぼすような事前協議の慣行が成立していたということはできない(但し就業規則二六条二号の「やむを得ない事業上の都合」による解雇と事前協議の関係については後に述べる)。

2  申請人らは本件の返還問題に関する経協を通しての執行委員会の回答は組合大会又は職場委員会の議を経ることなくなされているから、同委員会の権限をこえてなされたものであり、組合の意思とは認めがたいこと、申請人らの行動は組合意思に合致した正当な争議行為である旨主張する。

(1) 先ずこの点を会社側の立場から眺めると、組合が会社の申入れに対しいかなる機関決定を経てその態度を決めるかは全くの組合内部の問題であって、会社の容喙できることがらではない。既に認定したように、被申請会社における労使問題は長年経協又は拡大経協の場において協議されるのが慣行化していたから、本件の返還問題についても、会社としては経協における組合側の回答を組合の回答とみなして次の行動に移る以外に術はないのであり、仮に組合側の意思決定に手続上の瑕疵があったとしても、そのことによって、原則として組合内部における執行部の責任問題が生じ得るにとどまり、会社側の行動までをも規制し得ないものというべきである。逆に経協において組合側から示された意見を会社側が組合意思と認めないという態度に出るならば、それは、会社による組合に対する介入を意味することにさえなりかねないのである。また、返還につき執行委員会による了承回答後組合掲示板にこれに反対する意見が表明され、会社側もこれを認識していたものと推認されるが、いかなる組合であれ内部に種々様々の意見があることは広く経験されているところであり、使用者に対して示される組合意思も常に全会一致であるとは限らないから、右反対意見の表明があったからといって、会社が経協の場で組合の意思を確認した以上会社としてはそれを組合意思と認めざるを得ないのである。

そして、後に述べるように、申請人らの行為が組合による争議行為とは認めがたく、その手段において平和的方法の域をこえ、また、三月一一日の行動につき特段の緊急性も存しない以上三月一一日の移転作業阻止に端を発した一連の申請人らの行為は違法と評価せざるを得ないのである。

(2) 次に申請人らは申請人らの行動を争議行為であると主張し、その理由として右行動が組合意思に合致したものである旨を述べている。争議行為が組合としての集団行動である以上、組合内部において所定の手続(例えば疎甲第四八号証の組合規約二四条によれば、同盟罷業については組合大会で有効投票の五分の三以上の賛成決議を経ることが必要である。)を経たうえで実施されてはじめて正当なものとして民事免責を受け得るのであって、かかる手続を経ることなく一部の者により行なわれた業務運営阻害行為を正当な争議行為と認めることはできないというべきであるが、その点はしばらくおき、申請人らは申請人らを含む「有志」の行動が組合意思(その数は前記組合規約二四条二項により定められた少なくとも過半数を指すものと解される)に合致する旨主張するので、この点についても判断を加えておく。前記認定のように、組合執行部は返還により執務上最も影響を受ける販売部等六ヶ部の意見を徴したところ特に反対の意向の表明はなく、移転作業開始前に意見を表明したのは《証拠省略》によれば従業員総数二二六名(組合員約一八〇名)中書籍第三部(組合員六、七名)職場会議及び申請人吉田、同駒沢、同高橋以外の申請人が所属する校閲部職場会議(組合員二四名位)のみであり、その内容もとりあえず早急に大会開催等により組合意思を確認すべきことを主眼としており、新館三階部分の返還自体が絶対不当であることを不動の前提としているとは解せられないし、ましてや申請人五名のような実力による移転作業阻止までをも支持していたとは認めがたい。また、三月二一日の組合大会で「申請人五名に対する会社側の処罰はやむを得ない」とする執行提案が否決されてはいるが(否決案は有効投票数の五分の三或は組合員総数の過半数には達していない。)、そのことが直ちに申請人五名の三・一一行動を全面的に正当として支持することを意味するものとは解せられない。このことは、同日の大会での提案は申請人五名に対する会社側の処分の当否を問うたもので、返還問題や移転作業の実力阻止の当否を問うたものではなく、右採決以外に申請人五名の行動を支持支援する議案の提出もなかったことやその後六月一日、八月三一日に開かれた組合大会においては逆に申請人らの行動を批判し組合の行動を逸脱しているとの趣旨の執行部提案がいずれも可決されたことと相俟ってうかがい知ることができる。以上述べたところによれば、三月一一日の実力による移転阻止、その後の処分反対のための実力行動、就労拒否がいずれも組合意思に合致したものとはとうてい認めることはできない。三月二一日、六月一日、八月三一日の組合大会に関する申請人らの主張も採用しがたく、他に申請人らの行為が組合意思に合致したものとして争議行為と同視しなければならない事情を見出し得ない。

(3) なお、新館三階部分を返還することにより会社従業員の労働条件に著しい低下をもたらすか否かについても併わせて検討する。当事者間に争いのない事実と《証拠省略》によれば新館三階部分にあった診療控室、旧谷崎資料室、応接室が廃止され、組合事務室、書籍編集局長室は二階に、二つの会議室は旧館側に移されたこと、旧館三階部分については南側に二つの会議室が設けられ、全体的に北側に書籍部、校閲部の机等が移され、新館側で打合せ等にも使用されていた応接室に代る打合せ所が新たに設けられ、また、作業用にも使用されていた小会議室が廃止されたこと、二階部分については旧館部分と新館部分の調査部室については特に変更はなく、新館部分の南側部分に組合事務室、診察室等が設置されたこと、旧館一階部分には管理部、総務部が新たに入り、従来の幹部室が子会社の大和サービス株式会社の従業員及び運転手の控室にかえられ、新館一階部分の販売部、宣伝部の部屋には更に人事部が入り、全体的な机の配置等の間隔はせばまり、更にロッカーなどで仕切られたりするようになったことが認められる。ところで従業員の労働条件の低下の有無については各従業員の業務遂行に要すべき適正な職業スペースを前提として従業員一人当り面積の増減状況、廃止縮小された各室の使用頻度等からみた存置の必要性の有無のほか、廃止縮小に伴なう代替作業所の確保の可能性等も総合検討しなければならないところ、右疎明によっても廃止された診療控室、谷崎資料室の継続存置の必要性が高かったとはいえないし、新館二階部分についてはその配置につきかなりの変更があったものの、移動後特段その使用についての不便、不利益が生じたともいえない(《証拠省略》中これに反する部分は採用しない。)。また《証拠省略》によれば、返還後の従業員一人当り面積は約一〇・八平方メートルであって返還直前の約一二平方メートルに比べ減少するものの、返還前であっても従業員数の最も多かった昭和四三年四月当時の一人当りの面積は一〇・六平方メートルであったのであり、昭和四四年四月頃以降会社従業員が漸次減少していたこともあって返還後の一人当りの面積は昭和四四年四月頃とほぼ同じであることが認められ、子会社従業員の増加の有無等会社ビル入居人員の実質的増減を考慮しても従業員の一人当りの面積が右の程度減少したからといって従業員の執務が著しく不便になったとは認め難いし、《証拠省略》によれば会社ビル七階の訴外会社所有の二、三の部屋も社外校正者らとの打合せ等のため随時、使用が可能で、他に会社が費用を負担して喫茶店等を使用することも行なわれていたことが認められるから多少の不便はあるとしても校閲部などの従業員のための打合せ場所等は一応確保されていたともいえるのである。更に組合執行部が前記(三)、1のとおり新館三階部分の返還について執務上最も影響を受ける販売部六ヶ部等に意見を聴取しても特に反対の声がなかったことを考慮すると新館三階部分の返還により従業員の作業能率の低下、労働環境の悪化が予想され、或は生じたとは断定し難いものがあるといわねばならない。

以上、要するに新館三階部分の返還に伴なう職場の縮小が直ちに労働条件の低下をもたらすとはいえないとの組合執行委員会の見解及び会社提案に対する対処の仕方には首肯すべきものがあるということができるのである。

(二)  申請人吉田、駒沢、鈴木、遠藤、出口について

1  三・一一行動と三・二四処分について

(一)、1及び(三)、1のとおり、会社は経費節減のため新館三階部分返還の計画をたてて、従来の労使間の協議制に則り、二月二九日の経協において返還理由などを説明して組合側の了承を求め、その了承回答を得たうえ、休日等を利用するとの作業計画をたて、それに従い、同月一一日の作業に着手したのである。また、(四)、2のとおり、同日の作業中に組合の平林委員長らは事態の紛糾を避けるため会社に対して作業の一時中止を申し入れているが、作業を中止すれば、会社が既に契約し待機している業者に対し契約不履行責任を負い、また返還が遅滞すれば新館への入居予定の外部会社に対し損害賠償責任を負うことも予想され、対外的信用にもかかわる事態も生じ得るから、会社として作業中止をすることは困難であったと言い得るし、申請人五名が組合執行部と異なる見解に立って行動していたとしても同人らが組合員である以上前記経協における組合側の了承回答を得た会社としては、これを組合の回答として受けとり申請人五名の行動を組合とは無関係な行動として作業を進行させるほかなかったといえるから、会社が新館三階部分の返還問題に関してとった一連の措置は従来の労使間の問題解決の手続に違背しているとはいえず、同日の作業の着手実施についても非難さるべき点はないと言わねばならない。これに対し申請人吉田、同駒沢の三・一一行動は移転作業中止の要求が容れられなければ座り込み等の阻止行動を続けるという強固な意思の下に行なわれたことは明らかである。従って、三・一一行動は、前記のように組合との関係において正規の手順をふんだうえで行なわれた会社の移転作業に対し平和的手段の域をこえて実力によりこれを阻止し妨害する行為と認めるほかはない。従って、会社が右申請人両名に対し、就業規則四一条三号の「社業に支障を来させたとき」六号の「社内における風紀、秩序を紊したとき」に該当するとして一か月の懲戒休職処分をしたのは相当ということができる。

更に申請人鈴木、同遠藤、同出口の三・一一行動についても妨害に至る経過に照らせば実質上申請人吉田、同駒沢と共謀して移転作業を妨害したものであるが、その行為の態様は助勢にとどまったと評価しうるから会社が右三名に対して就業規則四一条六号に該当するとして譴責とし、始末書の提出を命じるにとどめたのもそれ相当の処分ということができる。

申請人らは三・一一行動は突然の会社の移転作業に対しとられた緊急やむをえない行為である旨主張する。しかし、本件の返還問題が公表されたのは三月四日であり、移転作業が実施された三月一一日までの間には日時があり、移転作業の日程を申請人らが知り得なかったとしても、もし、新館三階の返還により全従業員の労働条件に重大な影響が生じ、多くの組合員が真に申請人ら「有志」に同調するのであれば、返還問題の公表後直ちに行動を開始することにより申請人らが主張する組合大会を招集し返還反対、移転作業中止を決議し、執行部をリコールすることも会社程度の規模の企業において不可能ではなく、そのような事態ともなれば、経協を通じて組合から了承回答を得ていたとしても会社も移転作業を見合わせざるを得なかったものと予測し得るのである。しかるに、そのような組合内部における努力を十分に重ねることなく、移転作業阻止の実力行使に及んだ以上三・一一行動につき申請人らの主張するような緊急性を認めることはできないものというべきである。

2  自宅待機命令について

本件自宅待機命令は申請人五名に対する業務命令であるが、待機期間中の賃金全額を支給するものとして発せられ、現に右期間中の賃金は支給されているから、申請人五名は雇用契約上の賃金債権を失わず、この点では全く不利益を受けていないし、申請人五名の職種は就労請求権が肯定されるものでもないから右命令により申請人五名が会社における就労を拒まれたからといって、そのことから直ちに申請人五名が懲罰的扱いを受けたことになるものでもない。本件自宅待機命令の趣旨は、申請人五名に対し会社就業時間中自宅その他会社から連絡可能な場所に待機し会社から出社を命ぜられれば直ちにこれに応じる態勢を整えておくことを命じたことにあると解せられるが、使用者がその従業員に対し労務提供の待機を命じ得るのは雇用契約上当然であるし、右命令は自宅その他の場所において待機を命ずるのみで就労を命ずるものではなく、謹慎、組合活動の禁止を命ずるなどして雇用契約と無関係な事項につき申請人五名の行動を制約するものでもないから、雇用契約の本旨にもとるものではない。このような観点に立てば、就業規則に定めがないとはいえ、本件自宅待機命令は雇用契約上の労務指揮権に基づく適法な業務命令と認めることができるのであって、申請人らが主張するように就業規則に定めのない懲戒処分としての性格を有するものではない。更に同命令の妥当性について検討しても申請人五名については移転作業妨害行為により懲戒処分を受ける蓋然性が高かったといえるし、その後の申請人五名の会社のなした事実の確認に対する対応、態度等に鑑みれば、懲戒処分決定までの間、右五名を通常の勤務態勢におくことは職場規律のうえで妥当でないのみか、更に移転問題に関して不測の行動に出ることも予想されたところであるから会社には申請人五名に自宅待機を命ずる業務上の必要性があったということができる。従ってこれに従わなかった申請人五名の行動は職場規律を乱したと評価されてもやむを得ないといわねばならない。

3  四・二四、五・二四、六・二四、七・二四の各処分について

前記(五)ないし(八)に認定した申請人五名による部会議その他の業務妨害、就業命令拒否、退去命令拒否、ステッカーの貼付、原稿提出の拒否等の行為はいずれも会社内における職場秩序を乱すもので、反覆してなされたこれらの行為に対し会社主張の就業規則の条項を適用してなされた四・二四、五・二四、六・二四、七・二四の各処分(懲戒休職)はいずれも有効であると認めることができる。

この間三月二一日に開催された組合大会は会社から内示された三・二四処分をやむを得ないとする執行部提案を否決したが、既に述べたように懲戒処分が組合との協議事項とは認めがたい以上右事実によって同処分の効力が左右されるものではない。また、《証拠省略》によれば、昭和四三年一二月労使間において「一、部会議にはすべての部員の参加を保障する。一、部会議は社業にかかわるすべての問題を討議しうる。」などの条項を含む確認がなされたことが認められるが、右確認が申請人五名のように自宅待機の命令或は休職処分を受けた者の参加まで保障した趣旨とは解せられないし、仮に従業員に対する自宅待機命令、休職処分等が社業にかかわるものとして部会議の議題となるとしても、部会議は各部長の統轄のもとに平穏裡に進行されるべきものであり、出席権のない申請人五名が右命令を拒否しこれに反抗する姿勢を示して出席を要求する以上とうてい平穏な会議進行は望み得ないことは明らかであるから、各部長が部会議を中止した措置を特に不当ということはできない。

4  申請人吉田、同駒沢の解雇について

(八)、1のとおりその後も同様の行為を繰返して申請人吉田、同駒沢は六・二四処分を受け、附加して従わないときは解雇する旨の警告を受けたのにいずれも右各処分に従わず、(九)、1のとおり更に八月七日からは会社役員に対して面会を求め秘書室等で坐り込みし、排除にあたった従業員に対して暴力行為にまで及んだのであり、その行為の態様をみても秘書室前の坐り込みは表面上面会を求めると称しつつも実質は来客の応待に支障を与え、会社業務を阻害する意図でなされたと解するよりほかなく、職制らに対する取り囲み行為もその判断、行動の自由を奪い、会社業務に著しい支障を与える行為というべく、過去三回の休職処分に従おうとせず、更に業務阻害行為に及んだ申請人吉田、同駒沢については懲戒解雇相当の事由(就業規則四一条(三)社業に支障を来たさせたとき、同(六)社内に於ける風紀、秩序を紊したとき)があるというを妨げないのであって、会社がなした右両名に対する八月二三日付の解雇には就業規則二六条二号にいう「やむを得ない事業上の都合によるとき」に該当する事由があるということができる。

5  申請人鈴木、同遠藤、同出口の解雇について

申請人鈴木、同遠藤、同出口は(八)、2のとおり七・二四処分を受け附加して従わないときは解雇する旨の警告を受けていたのに(九)、1のとおり会社役員に面会を求め秘書室に坐り込み排除に当った従業員に対し暴力行為にまで及び更に(九)、2のとおり、申請人吉田、同駒沢の解雇後、八月二四日昼頃、申請人ら及び支援の労組員らは会社前で抗議集会を開いたあと社内に乱入(但し申請人佐藤を除く。)し、職制らに暴行を加えたりしたが、もともと申請人らが解雇を予想したうえ支援の労組員らと抗議集会を計画していたこと、申請人らは当日朝からビラ貼り等著しい業務阻害行為をしていたこと、申請人出口は先頭に立って参加者に対し「行動に移ります。」と指示し、集会参加者はスクラムを組み、一団となって社内に入るなど当初から平穏な態様の抗議行動とはいえなかったことなどを考慮すると職制らのほかに申請人らと対立関係にあった組合役員らが一団の侵入を阻止したことも混乱を招いた一因であるとはいえても、会社内に入ったのはたんに抗議文を手渡すためであり、混乱を避けるために三階に上がったとの申請人らの弁解は到底採用できないところである。

申請人らは意思を相通じていずれも参加者の会社内侵入の前後を通じて支援労組員を指揮し、或は職制、組合員らに暴行し、或は支援労組員らにその旨指示するなど積極的役割を果たしたのであって、その責任は一様に極めて重いといわねばならない。従って過去三回にわたり懲戒休職処分を受けた申請人鈴木、同遠藤、同出口に対し就業規則二六条二号にいう「やむを得ない事業上の都合によるとき」を適用してなした解雇は申請人吉田、同駒沢の場合と同様相当なものということができる。

6  なお、通常解雇に関し、申請人らは「退職金支給に関する協定書」、同補則、同補則覚書の締結によって就業規則二六条二号の「やむを得ない事業上の都合」による解雇とは会社の経営危機等に際し、事業の縮小等を行なう場合のみに限定され、かつ事前協議によることになった旨主張するのでこの点について検討するに、当事者間に争いのない事実と《証拠省略》によれば、前記(一)、2の労働協約第二次会社案において会社は組合員の解雇賞罰予告制度のほかに「経営上やむを得ない解雇」として「会社は経営上やむを得ない事由により組合員の解雇を必要とするときはその人員及び基準についてあらかじめ組合と協議する。」(第一二条)との解雇協議条項を提案したが、これに対して組合は解雇同意条項とするよう要求したのでこの点についても合意に至らなかったこと、その後昭和四一年頃から現行の就業規則を受けて規定されている退職金規定の改正が労使間で協議され、会社案、組合案が提示されたが、就業規則二六条二号を前提とした「やむを得ない事業上の都合により退職するとき」の退職金の支給率等については退職手続も含めて規定するか否か等をめぐって労使の見解が対立したので、昭和四三年二月にその余の退職事由の場合の支給取扱いについての合意のみが「退職金支給に関する協定書」として締結されたこと、更にその後も交渉がなされたが、「やむを得ない事業上の都合による場合」の退職手続について会社は協議事項を主張し、組合側は合意事項を主張して見解が対立したままであったので、会社、組合は同年九月に「やむを得ない事業上の都合による退職」の場合の退職金割増率等について定めた同協定書補則を締結すると共に退職手続については「『退職金支給に関する協定書』補則にいう『やむを得ない事業上の都合による退職』とは、会社・組合双方交渉のうえ退職することであると確認した。ただし、この場合、交渉内容に関しては、拡大経営協議会(昭和四三年八月~九月)の席上、会社は「協議事項」を主張し、組合は「同意事項」を主張し、双方の合意をみるにいたらず、将来の別途交渉にゆだねることを決定した。」(第一項)旨の労使間の合意点、対立点をそのまま記載した同補則覚書を締結したことが認められ、《証拠省略》中、会社が労働協約締結交渉及び「退職金支給に関する協定書」補則等の締結に際して「やむを得ない事業上の都合による退職」を会社経営の危機等の際に限定して交渉し、締結したとの点は採用しない。

右補則等締結までの経過に照らせば組合は終始、会社の解雇権を制限する意向を有していたことは窺われるが、右協定書補則、同補則覚書には「やむを得ない事業上の都合」がどのような場合であるかについてこれを限定した文言はないから、就業規則の解釈が事後的に限定されるに至ったとの解釈は採用し難いところである。就業規則(疎乙第一号証)二六条二号にいう「やむを得ない事業上の都合による解雇」とは、他に同条一号において精神身体の故障等の場合の解雇、同三号において懲戒解雇を規定するのみであることに徴せば、天災事変や、経営上会社の責に帰すべき事由のある場合に限らず、本件のように労働者の所為のために職場の規律が弛緩し、能率が低下し、事業の運営に支障をきたし、そのため解雇がやむを得ないと認められる場合も広く含むと解すべきであり、右補則、同覚書に右解釈を制限する文言がない以上、この点についての申請人らの主張は採用することはできない。

もっとも右覚書もその形式からみて労働協約であり、その第一項の趣旨は、同項の文言を「退職金の支給に関する協定書」の各条項と対比してみても、当該退職者に同協定書補則第一条を適用するか否かについて交渉を要する趣旨ではなく、会社が「やむを得ない事業上の都合」により退職(その形式が解雇であると任意退職であるとを問わず。)させる場合には労使間の交渉にかからしめ、会社の恣意的な運用を制限して組合員の身分を保障することにあるというべく、従って会社は就業規則二六条二項を適用して解雇する場合は組合と交渉すべきであり、また右交渉内容について一致していないとはいえ少なくとも会社主張の協議を要することが労働協約上合意されたということができる(この点において申請人五名の解雇について会社は組合と協議すべきであったとの申請人らの主張は一部理由がある。)。しかし、もし会社が就業規則四二条により懲戒解職の措置をとるならば右補則覚書の適用を受けず会社として組合と協議を経ることを要しないのであること、既に六・二四処分、七・二四処分において申請人五名に対する解雇が示唆されており組合においても処分を予測して対処すべき機会は十分にあったこと及び申請人らが組合執行委員会と対立し、その統制にも服しようとせず自らその機会を放棄したとみられても仕方がないことなどを総合考慮すると右会社の申請人五名に対する解雇手続の瑕疵はその効力に影響を及ぼすものではないというべきである。

また、申請人吉田、同駒沢に対する六・二四処分、申請人鈴木、同遠藤、同出口に対する七・二四処分には各総務局付とする異動が附加されているところ、申請人らはこの異動は人事の事前協議のルールに反し無効であってこれに対する抗議行動は正当であると主張するが、《証拠省略》によれば従来も長期の休職者について同様の取扱いをしており、申請人五名が各休職処分に服し期間を経過すれば元の職場に復帰させる予定であったことが認められるから、右異動は懲戒休職に伴なう暫定的付随的な措置というべく、(右措置につき本人の同意を得なくても前記人事の事前協議のルールに反する)ものとはいえない。

(三)  申請人佐藤、同駒沢(桜)、同小園、同高橋について

1  (九)、2、3、4のとおりその後の申請人佐藤、同駒沢(桜)を除くその余の申請人らの出社妨害、職制ら取り囲み行為等とその際の暴力行為並びに執拗なまでのビラ貼付等の繰返しは一般に許容される争議行為としての平和的説得の範囲を逸脱する行為であって、(九)、5のとおり申請人らに反省を求め、実質上除名に等しい組合大会決議がなされていたことを併せ考えると申請人小園、同高橋に対して就業規則四一条三号、五号、六号を適用して懲戒休職二か月の処分をしたのもそれ相当の処分ということができる。

2  その後も(一〇)、1ないし3、(一一)1ないし4のとおり申請人小園、同高橋のほか解雇された申請人五名は出社妨害、職制取り囲み等を繰返し、申請人高橋は一一月二一日、昭和四八年一月二一日各懲戒休職二か月、同年三月二二日譴責(始末書提出を含む。)を受けたが右各処分は適用された各就業規則条項に該当する事由があるからそれ相当の処分ということができるし、右譴責処分後の就労命令拒否にもなんら正当な理由を見出し得ないから、従前の処分歴を勘案すれば就業規則四一条六号により懲戒解雇されてもやむを得ないものというべきである。また、申請人小園は一一月二一日に懲戒休職二か月昭和四八年一月二二日に譴責処分(始末書提出を含む。)を受けたあと正当な理由なく就労命令拒否を続け就業規則四一条六号により懲戒解雇されるに至ったもので、いずれも著しく不当な措置とはいいがたい。

3  (一二)記載のとおり申請人佐藤、同駒沢(桜)は八月二四日以降昭和四八年二月六日までの長期にわたってタイムカードを押しながら業務に就こうとせず、再三の会社職制らの注意にも応じようとしなかったのであってその行為の態様がたんなる不就労にとどまり他に懲戒処分を受けていたものではないとはいえ、その行為の正当性の根拠として主張する申請人吉田、同駒沢に対する解雇の不当性の主張自体が採用できないことは前示のとおりであり、また会社が解雇等処分事由を明らかにしなかったとの主張についても処分理由の明示自体は解雇等のための有効要件とは認めがたく、更に(七)、2、(一二)のとおり組合執行委員会が申請人らに呼びかけ会社処分についての協議等、意思の疎通を図ろうとしたのに申請人側においてこれを拒否したのであるから組合が申請人らの処分に対応しなかったことに抗議したとの主張は理由がないところであって(なお会社側が暴力行為をしたとの主張についての判断、評価は後記のとおりである。)、これらを総合すると申請人佐藤らの不就労につきこれを正当ならしめる理由を見出すことはできないから、会社が申請人佐藤、同駒沢(桜)に対し、就業規則四一条六号に該当するとして懲戒解雇したのは相当ということができる。

(四)  申請人らは解雇がいずれも不当労働行為である旨主張するが、申請人らが「有志」を名乗って一グループを形成しているとはいえなお組合にとどまっている以上三・一一行動以後の行動は組合活動であるとも争議行為であるとも認め得ないことは既に述べたとおりであり、他方申請人らの行為はいずれも解雇に値するものであり、また、会社が申請人らの組合活動を特に嫌悪したことを決定的な動機として右解雇に及んだものと認むべき疎明もないから、申請人らの右主張は理由がない。

(五)  申請人らは、会社が申請人らが休職期間中でありながら反省を示さなかったことを理由に休職処分を繰返したことは違法である旨主張する。しかし、既に述べたように申請人らに対する各処分は相当と認められるのであるから、申請人らは企業組織の中にある一員として当然これに服すべき義務があるのである。そうであるのにこれを無視して出社し実力による業務阻害をやめない以上同種又はそれ以上の処分を受けてもやむを得ない。もとより、労働者において使用者の処分を不当としてこれを争い使用者に撤回を求める自由のあることまでを否定しないが、その方法には自から限界があるはずであり、既に認定したような申請人らの行為はその態様に照らし右限界を逸脱しているものと認めざるを得ないのである。

(六)  申請人らは本件解雇が権利の濫用である旨主張するが、既に認定したところから判断する限り右主張を採用することはできない。

四  その他の申請人らの若干の主張についてふれる。

申請人らは会社と組合が一体であるとか、組合執行部は会社の傀儡とか主張して申請人らの行為を正当化しようと試みるごとくであるが、そのようなことを認むべき資料はない。

また、会社側も申請人らに対し暴力を振ったと主張し、本件の紛糾の原因は会社による暴力的対応にあり、申請人らの行為はこれに対する正当な抵抗又は抗議であるかのごとく主張する。なるほど、《証拠省略》によれば部外者をも含めた申請人ら「有志」が八月七日以降社屋内での坐り込みの排除を受けたとき、出社妨害のときなどにおいて会社の従業員ともみ合い、申請人ら有志の一部が傷害を受けたことが認められる。しかし、それらの多くは申請人ら「有志」による暴力をも伴なった社内占拠、業務阻害、出社妨害等の先制的攻撃に対する防衛措置と認め得るのであり、そのなかには感情的対立が昂じた結果の行過ぎと認められるものもないとはいえないが、何よりもかかる事態を直接誘発したのは申請人ら「有志」による前記先制的行動であったことに思いを致せば、前記のような会社側の対応措置があったからといって、そのことによって申請人らの既に認定した解雇理由たる行為が正当化されたり、申請人らに対する解雇の効力が影響を受けるものではないのである。

五  結論

よって本件各処分はいずれも有効であるというのほかなく本件各仮処分申請は被保全権利が認められないことに帰し、事案に鑑み、疎明に代えて保証を立てさせることも相当でないから必要性についての判断を省略して本件申請を却下することとし、申請費用の負担について民訴法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 吉本徹也 牧弘二)

<以下省略>

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